子供を育ててみるとわかるのだが、幼少期の子供は何に対しても「なぜ?」と問う。わからないことは何でも聞く。
中には大人が答えられないような内容も多い。
例えば、
どうして人は死ぬの?
どうしてパパとママは結婚したの?
どうしてみんな学校に行くの?
どうして働かなくちゃいけないの?
どうして 「 1 + 1 = 2 」 なの?
などなど。挙げればキリが無い。
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しかし、小学校も終わりに近づくと、そういった「なぜ?」がぱったりと消えてしまう。
まともな回答が得られないから、大人に聞くことには意味が無いと考えるようになったのだろうか。
しかし、それ以上に大きな理由として、子供自身が、世界を「そういうものだ」と捉え始めた、そう考えることもできる。
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私たち大人は、世界が「そういうものである」ことを知っている。
しかし、なぜそうなっているのかはわかっていない場合が多い。いや、ほとんどの場合わかっていない。私たちは世界を知っているが、その理由はほとんど知らないのだ。
それは真の意味でわかっているとは言えない。ただ、そう思い込まされているだけだ。
世の中の「常識」にも、驚くほどそういうものは多い。ほとんどは、それが常識であると思い込まされているというわけだ。
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子供たちが大人になること。それは「なぜ?」という問いを捨てることだろう。それは「常識」にとらわれることでもある。