電子料金収受システム(英語: Electronic Toll Collection System :エレクトロニック・トール・コレクション・システム, 略称ETC)。
高速道路(expressway)とか、取引(transaction)あたりを予想していたので意外。
この略称だけだと、現存する電子マネーなんて、みんなETCですな。
電子料金収受システム(英語: Electronic Toll Collection System :エレクトロニック・トール・コレクション・システム, 略称ETC)。
高速道路(expressway)とか、取引(transaction)あたりを予想していたので意外。
この略称だけだと、現存する電子マネーなんて、みんなETCですな。
人間の行動に最も強い影響を与える感情。「1984」の「101号室」が象徴的に示すように、理性でもなく、愛情でもなく、恐怖だろう。それは、人間の最も理性から遠い本能の根の部分で働く、一番原始的な感情。
しかも、他の感情と異なり、恐怖は容易に伝染する。恐らく、数百万年の人類の歴史の中で、恐怖は何度となく人類を救ってきたことだろう。自然界で人類が生き残るうえで、必要な本能だったはずだ。
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この本能は間違いなく現在の人類にも受け継がれている。
歴史を見ると、為政者たちは頻繁に「恐怖による支配」を用いてきた。
恐怖は人間の最も原始的な感情。理性や愛情に訴えるよりもはるかに効果的。しかも、恐怖の感情は安易に伝染するのだから、費用対効果も高いとなれば、これを用いない手はない。
もちろん、今でも恐怖による支配は続けられている。そして、その手法は日々進歩を続け洗練されている。
the only thing we have to fear is fear itself
「我々が恐れなければならないのは『恐怖』そのものだ」
Franklin Delano Roosevelt
新年早々飛び込んできたニュース。
米、イラン司令官を殺害 トランプ氏が命令 ハメネイ師は「報復」誓う
https://www.afpbb.com/articles/-/3261966
戦争状態にある二国間の話でもないし、報復措置でもない。
「テロと闘う」と言い続けている国家こそが、実はテロ行為を繰り返している。そこには正義なんてあったもんじゃないですな。
日本の人質司法に対する批判であったり、その批判に対する批判であったりと、世の中騒がしいのですが。
それよりも、「世の中、やっぱり金だなぁ」などと思ってしまったわけです。
そもそも資金が無ければ、逃亡も無理ですし、逃亡先での生活も無理ですし。
金があればなんとかなる。大抵のことはできる。そんなことを実感した新年早々でした。
テレビ局が売っているもの。それは、コマーシャルフィルム(CF)の時間である。
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私たちが楽しんでみている番組は、おまけ。付随物である。
言い方を変えれば、餌である。
私たちの目をテレビに向けさせるための餌である。
私たちは、その餌につられて貴重な時間をテレビ閲覧に捧げる。
そして、コマーシャルフィルム(CF)を見る私たちの視線を、テレビ会社はスポンサーに売るのだ。
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テレビ会社のビジネスにおいて、顧客はスポンサー、商品は「コマーシャルフィルムを見る人々」。
当然、見ている人数が多い方が高く売れる。だから、テレビ局は高視聴率にこだわる。
無料でテレビ番組を楽しんでいると思っているかもしれないが、貴重な時間をタダで売り渡していたというわけだ。
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NHKのビジネスモデルだけは、少々特別。気が向いたら書くかもしれない。
結論から書く。
インターネットは人の考える力を奪う
最近、このように思うようになった。
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人の考える力は、使わなければ劣化する。考え続けることで、その力は維持される。筋力と似たところがある。
インターネットのすべてが悪いわけではない。しかし、検索によって簡単に答えが得られる環境、簡単に答えが得られる質問サイト、これらに頼り始めてしまうと、自ら考えるという習慣が失われやしないだろうか。
推測にすぎないが、実感としてあるのだ。自ら考えるという習慣が失われ、その結果、考える力そのものが失われているのではないかという。
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もちろん、インターネットが100%悪いというわけではない。使い方次第なのは百も承知している。
しかし、ネット検索に頼りがちな自分がいるのも自覚している。多くの仕事をコンピューターに任せ、自分は何をするのか。
他の例にもれず、易きに流れてはならない。
これは自戒である。
彼はこう言った。
彼らは何も知らない。幸せな人たちだね。
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危機に瀕したある小組織での話。
その組織は、極めて厳しい状況に置かれている。数年後には組織が存在しないかもしれない。まさしく、存亡の危機。
にもかかわらず、危機感のない構成員。もう一度失態を繰り返せば、本人のみならず、全員が居場所を失うというのに。
冒頭の言葉は、それを見ていた、ナンバーツーの言葉。
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組織の構成員ではない私には、他人事にしか思えなかった。その時は。
同じようなことがこの国全体で起こっていることに気づくまで、そんなに時間はかからなかった。
この世に永遠のものはない。
よく口にされるこの言葉の手からは、言葉そのものも逃れることはできない。
すべての言葉は変化し、オリジナルはやがて忘れられていく。
それゆえ、時の流れに抗い、今に残る貴重な紀元前の言葉の数々は、よほど真実に近いもの。
次に読むときには心して読もう。
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いま、私がこうして文章を書いている、その行為も、
数千年の言語の歴史の上で、言葉に新しい意味を、つまり言葉に新しい命を吹き込んでいる。
願わくば、数千年の後世まで残るものであってほしい。そのためには、心して紡がねばなるまい。
「死」の反対は「生」ではないのではないか。そう思うようになった。
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人は生きていれば必ず死ぬ。遅かれ早かれ死はやってくる。逃れることはできない。逃れた人はいないはずだ(もしいたら教えて欲しい)。
つまり、死は生の一部。何十年という生の最後の一瞬が死。
どちらかを選ぶことはできない。二者択一の関係には無い。この世に生を受けた時点で、どちらも選んでしまっている。私達は死ぬことを運命づけられている。
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生と死は同一のもの、等価値だ。某アニメの登場人物がこう言っていた。
生と死は等価値なんだ。ボクにとってはね。
見たときには意味が理解できなかったが、今ではよくわかる。
どのように生きるか、それがどのように死ぬかを決める。どのように死んだか、それはその人がどのように生きてきたのかを反映する。
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生か死か。そんな二者択一のケースもあるかもしれない。だが、生を選んだ場合でも、やがて訪れる死から逃れることはできない。死を先送りしただけ。やはり選択肢としては非対称だ。